伊藤沙莉朝ドラ「虎に翼」モデル三淵嘉子さん !日本初女性弁護士【徹底解説】

俳優

伊藤沙莉さん主演の2024年度前期、NHK連続テレビ小説「虎に翼」

 

朝ドラ「虎に翼」が、2023年9月28日より撮影がスタートしたと、報じられました。

実は、この朝ドラ「虎に翼」の伊藤沙莉さん演じる主人公は、実在の人物三淵嘉子さんをモデルにしているんです!

昭和のはじめ、日本初の女性専門に法律を教える学校ができます。

そこへ集ったのは、当時の日本のどこにも収まらない、あふれ出す何かを抱えた女性たちでした。

この物語の主人公・猪爪寅子も、そんな収まらない女性。

周囲から“魔女部”と陰口をたたかれた女性だけの学びやで、彼女たちは自らの道を切り開くため法律を学んでいきます。

昭和13年(1938)、卒業生から日本初の女性弁護士が誕生します。

寅子もその一人として日本中から注目され憧れの的になります。

しかし弁護士として意気揚々と世に出た彼女たちを待ち受けていたのは、戦争へと突き進んでいく日本でした。

法学という社会に羽ばたく翼を得たはずが、それを使える場は急速に消えてしまいます。

昭和20年(1945)、焼け野原に立つ寅子は全てを失っていました。

明日生きるため頼れるのは、かつて学んだ法律だけ。

彼女は裁判官になることを決意。

戦争で親を亡くした子どもや苦境に立たされた女性たちのため、家庭裁判所の設立に奔走することになります。

そして、寅子はついに裁判官になります。

彼女とその仲間たちは、政治でも経済でも解決できない、追いつめられた人々の半径5メートルの世界を見つめ、その苦境から救うため情熱をもって向き合っていきます。

<NHKオンラインより引用>

伊藤沙莉さん朝ドラ「虎に翼」主人公は、日本発の女性弁護士で、後に裁判官になる方なんですね。

日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ一人の女性の実話に基づいた物語。

 

事件や裁判が見事に解決されていく爽快感も味わえる内容なんだそうです。

伊藤沙莉さんは、いつも元気でへこたれない役のイメージ。

https://hello-eigalife.com/titlekyozetsu-3960

まさにぴったりですね!!

朝ドラ「虎に翼」は、朝から、爽快感を味わえ、また元気を貰える作品になりそうです。

 

実は、私自身、法律を勉強していたので、その意味でも、朝ドラ「虎に翼」、そして女性弁護士が主人公というのは、とても興味がわくドラマなんです!

(弁護士にも裁判官にも残念ながらなりませんでしたが、、、)

放送が楽しみです!

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伊藤沙莉朝ドラ「虎に翼」モデルは三淵嘉子さん!どんな人?

朝ドラ「虎に翼」は、女性として初めて弁護士・判事・裁判所長となった三淵嘉子さんをモデルとした物語です。

 

主人公・伊藤沙莉さんのモデルとなった三淵嘉子さんとは、どのような人物なのか、簡単に紹介して行きますね!

 

朝ドラ「虎に翼」モデル 三淵嘉子さん シンガポール生まれの国際派

 

旧姓、武藤嘉子さんは、1914年(大正3年)11月13日生まれ。

台湾銀行に勤務していた武藤貞雄の長女です。

嘉子さんは、父の仕事の関係で、シンガポールで生まれました。

 

その後、父親のニューヨーク勤務を経て、1920年に帰国、一家は揃って東京渋谷区に住みました。

 

父親は、当時としては珍しく、男女に分け隔てのない非常に民主的な考えを持っている人。

幼い嘉子に「ただ普通のお嫁さんになる女にはなるな、男と同じように政治でも、経済でも理解できるようになれ。それには、何か専門の仕事をもつ為の勉強をしなさい。医者になるか弁護士はどうか。」と語ったと言います。

 

日本の当時の女子教育、「いいお嫁さん」を目指す方針とは全く違いますね。

やはり、海外で、先進的に活躍する女性たちの姿を見たお父様は、今後日本でも同じような展開になる、と見越していたんでしょうね。

 

インターナショナルな環境、羨ましいかぎりです。

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朝ドラ「虎に翼」モデル 三淵嘉子さん 明治大学法学部卒

嘉子は、東京府青山師範学校付属小学校から、1932年3月に東京女子師範学校附属高等女学校(お茶の水女子大学附属高等学校の前進)を卒業した後、法律を勉強しようと決意。

 

ちょうどその頃、1933年5月に弁護士法が改正され、女性も弁護士となることが認められました。

 

嘉子は、女学校卒業後、1932年4月、第四期生として明治大学専門部女子部法科に入学。

1935年3月に卒業した後、さらに明治大学法学部に編入、1938年3月に卒業しました。

 

明治大学と言えば、今も、法学部は看板学部です。

当時は、女性用に専門部女子部があったのですね。

この朝ドラ「虎に翼」が無ければ、私も知らなかったです。

 

嘉子は、卒業した年1938年の11月1日に高等文官試験司法科に合格。

第二東京弁護士会での1年半の弁護士試補の収集を終え、他2人の女性と共に、1940年6月、日本発の女性弁護士となりました。

卒業した年に、司法試験に合格とは!!

 

若干26歳です!

 

三淵(旧姓武藤)嘉子さん、めちゃめちゃ優秀で勉強熱心な方だったことがわかりますね。

 

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朝ドラ「虎に翼」モデル 三淵嘉子さん 1度めの結婚と裁判官任官

 

しかし、その後、第二次世界大戦に突入。

 

翌1941年になると、民事事件の数は大きく減少し、三淵(旧姓武藤)嘉子さんは、弁護士としての活動はほとんど出来なかったようです。

 

嘉子さんは、私生活では、1941年11月5日、実家に書生として出入りしていた和田芳夫と結構し、長男が誕生します。

しかし、芳夫が1944年6月に召集されてしまいます。

 

嘉子は、幼い息子を抱えながら空襲で家を焼かれてしまい、福島へ疎開するなど苦しい生活を強いられました。

終戦後、夫の芳夫が上海からの引揚途中に病死。

 

夫という生活基盤を無くした嘉子は、経済的自立について熟慮。

 

嘉子は、「男女平等の世の中になったのだから、女性も司法官に採用されるべきだ」と考え、1947年裁判官採用願を司法省に提出します。

 

しかし、嘉子は、裁判官として採用は許されず、司法省民事部に入り、裁判官としての仕事をまず学びました。

そして、ようやく二年後の1949年6月、東京地裁民事部の判事補に任用されました。

 

嘉子さん、35歳くらいの時ですね。

子育てしながら働き、夢を諦めない姿勢がすごいですね。

 

嘉子は、同年5月から約6ヶ月にわたり、アメリカで家庭裁判所を視察。

帰国後、1952年12月名古屋地裁に転じ、初の女性判事となりました。

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朝ドラ「虎に翼」モデル 三淵嘉子さん 2度目の結婚

 

1956年8月、最高裁調査官であった三淵乾太郎と再婚。

嘉子さん、42歳の時です。

 

その後?旦那様も裁判官になったのですね。

 

1972年6月、嘉子さん、新潟家裁所長に就任。

次いで浦和家裁所長、横浜家裁所長となり、1979年11月13日、嘉子さん、定年退官しました。

 

裁判官は、数年ごとに全国に転勤があります。

 

旦那様も一緒に転勤したのか、子育てはどうしたのか、嘉子さんは、とても大変な日々を過ごされたのではないかと思います。

 

三淵嘉子さんは、時代を切り拓き、懸命な努力を重ねてきた女性法曹の先駆者でした。

朝ドラ「虎に翼」、そういった過酷な時代の中、働き、夢に向かって頑張っていった女性の姿をどう描いていくのか、期待したいです!

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伊藤沙莉朝ドラ「虎に翼」いつから?

朝ドラ「虎に翼」は2024年前期のドラマなので、2024年4月から開始です。

NHK朝ドラの初回放送は、毎回月初めの月曜日なので、2024年4月1日放送開始と予想されます。

今からワクワク楽しみで仕方がありません!

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伊藤沙莉朝ドラ「虎に翼」モデルは誰?日本初の女性弁護士!【徹底解説】まとめ

伊藤沙莉主演朝ドラ「虎に翼」を紹介してみました。

いかがでしたか?

伊藤沙理さん演じる主人公、史実上の人物がモデルの作品で、とても面白そうですよね。

2024年4月が楽しみです!!

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